2011年8月5日金曜日

乗り越える強さ

芦屋のテラスカフェでトルココーヒーを飲んだ。
       ◇
遠い昔、アルバニアに行った。
アドリア海の濃い潮風と、無意味な青空しかない貧しい国だ。そのころ共産主義の崩壊と、絶望的な貧困で希望を失った若者たちが手漕ぎ舟で対岸のイタリアに脱出しようとして、多くが海の藻屑になった。

傾いた農家で、消えた若者の父に会った。家の中にニワトリがいて、すり切れた絨毯をついばんでいる。外に出すと盗まれるという。
奥さんがデミタスに淹れたトルココーヒーと、モザレラチーズのかけらを一人分だけもってきた。芳醇なコーヒーが臓腑にしみ、チーズは天の恵みのようにうまかった。最後のひと口をすすったとき、それまで無表情だった父ののどがゴクリと鳴った。そこで初めて気がついた。

コーヒーとチーズはこの家の宝物だったに違いない。
父親も食べたかったに違いない。
それを我慢して、遠来の客をもてなしてくれたに違いない。

部屋の隅で映りの悪い白黒テレビがイタリアのかすかな電波をとらえ、CMを映している。美女がにっこりとスパゲッティを差し出し「さあ、あなたも召し上がれ」と。
そんなもの口にしたこともない父は、寂しそうにテレビを消した。
         ◇
人生には、時に絶望するほどの落差がある。
しかし人間には、それを乗り越える強靭さもある。
アルバニアの夫婦はいま、トルココーヒーを飲めているだろうか。
トウホクの子供たちは笑顔を取り戻したろうか。

 一杯のコーヒーでカフェの長い時間をすごした。(の)